インタビュー

 【サッカー人インタビューvol.8】オシム元日本代表監督を招聘したGMが考えるサッカーとは 祖母井秀隆さん

祖母井 秀隆 / Ubagai Hidetaka

1951年生まれ。大阪体育大学卒業後、読売サッカークラブで選手として活躍。その後、西ドイツ(当時)のケルン体育大学に留学し、コーチング理論を学ぶ。帰国後、大阪体育大学サッカー部コーチ・Jリーグ「ジェフユナイテッド市原」(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の育成部長などを経てGM(ゼネラルマネージャー)に就任。また、日本人では珍しく海外での経験があり、フランス2部の中堅クラブを1部へと押し上げた。
さらに、元日本代表監督である“イビチャ・オシム”の招聘を成功させた輝かしい経歴を持つ。
去年(2014年)の12月にて京都サンガFCのGMを退任。

※GMとは、ゼネラルマネージャーの略であり、サッカークラブの運営・選手の交渉・地域活性などクラブに関わるすべての仕事を担う。監督が具体的な”試合戦術“を考えるのに対し、GMが考えるのは長期的な”チームの戦略“である。

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クラブを指揮する仕事“GM”

Q.GMになられたキッカケを教えて下さい。

GMになったキッカケっていうのは強制的にやらされたというか。全く興味がありませんでした。嫌々です。(笑)今もそうですが(笑)

私、大阪体育大学に12年勤めていたのですが、その後ジェフ千葉の方にお世話になって、そこで、社長さんにGMをやれと。
就任したらいきなりお金の問題です。リストラをしなくてはいけない状況になってしまいました。でもリストラはしたくなかったので、自分の年俸も下げてみんなに残ってもらい、そこからスタートしました。

最初はほんとに胃に穴が開くくらいストレスがありました。「ウバ害」って横断幕に書かれて、少し大変でしたね(笑)
その中で、僕がやっている仕事というのはなにか「資本主義の延長」というような感じがするんです。勝ち負けに関して。
「勝つこと」勿論、戦後経済大国になって、良かった時はそれは良かった。
でも現在、皆さんも感じているようにやはり路線を変えていかなければいけない時だと思うんです。もう耐えきれない、不安もありますし。
そこで僕の今やっている仕事というのは、もちろん一般的にGMと言っても「ジェネラル」ですから、いろんなことをやらなければならない。地域に根差すことなど色々なことを試行錯誤やってきました。

Q.GMというのは、選手の移籍や、クラブの運営、地域活性化など様々な面を携わっているというイメージがありますが、祖母井さんは実際にGMで主にどのようなことを行っていたのですか?

今言われた通り「選手の移籍・獲得」「監督選び」「地域に根差すこと」「スポンサーに関すること」全部です。しかし、クラブの組織によって、私の立ち位置というのは全く異なります。

ジェフ千葉と京都サンガとグルノーブル(フランス)と3つのクラブを経験していますが、
京都サンガの場合、地域と密着することが4年前の課題だったので、私は主に地域関連に力を入れていました。京都での4年間は地域の人と共に活動できて凄く楽しかったです。

例えば“ユニフォームの星”。京都サンガは天皇杯で一回優勝しているんです。
そこで、“南京都”は着物の金銀糸が有名なので、その金の糸で星にしました。
また、ホームタウンの市の郵便局では、ホームゲームの試合の日に全員その(サンガ)Tシャツを着て頂きました。
今年からはある市役所の人達400名にもTシャツをホームゲームの試合の日に着て頂いたりしました。

Q.「地域」「人」に根差していくためには何が必要なのですか?

僕は基本的に「なんかやって欲しい、やってください」と言うことよりも、逆にサポートするような立場でやっていかないと、なかなか地域に密着しないと思います。自分たちがサポートして頂いているわけですから。

僕はJリーグを見る人たちをチャンピオンスポーツ症候群だと言っています。
つまり、上しか見えていない。
だから、底辺とかそういった人たちに目がいかないんです。
そして、チームにそういう人が多いと、残念ながら“地域と一緒に密着なんか言葉だけで”と僕は思ってしまいます。

僕は10年くらいドイツにいましたけど、やはりドイツのやろうとしていることは素晴らしいことだと思いますし、我々やっていることとは少し違います。より国際的な外交を考えた活動だと思います。
例えば、2014年のW杯での話があります。
ドイツのナショナルチームはバヒーヤ(地名)という北ブラジルで合宿したんです。日本は南の方の「合宿地」でやっていました。
ドイツはW杯のスタートする1年前に合宿地を決めていたんです。原住民が多くいるところで。

(ドイツが)W杯で優勝したから素晴らしいというより、7対1でブラジルがドイツに敗れたゲームでブラジルの人たちがドイツを応援したことが素晴らしいんです。
そこには、ドイツのその外交的な戦略があったわけです。
おそらく、日本にはそういった情報は入ってきてないと思います。

どういうことかと言うと、1年前にバヒーヤという地に「合宿所」を作ったんです。
作ったんですよ!グランド一面と施設を。
日本や他の国は施設を借りていたんです。でもドイツは施設を作ったんです。グランド一面と救急車2台。そしてW杯終了した時に学校の施設として(バヒーヤに)提供しました。
そういったことがもう毎日のようにブラジルで放送されていたわけです。
僕はブラジル人の友達がいるので、そういった話を聞いていたわけです。凄いなぁと思いますよ。
しかも、ドイツの選手達自体も凄い人気があったんです。なぜかというと、フリータイムの時にブラジルのTシャツ着ていたんです。だからそういったことは上手いと思います。

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サッカーを始めたキッカケは女の子
そして海外へと羽ばたく

Q.サッカーに携わった経緯を教えて下さい。

出会いは、中学2年生の時。校内サッカー大会があって。当時はサッカーなんか全然わかりませんでしたが出ました。それで、試合終わったら勝っていて、僕の体操着はドロドロでした。
「たぶんすごい活躍したんだな」と思いました。しかも、終わってから女の子にね「すばらしかった」と言われたんですよ。
それがキッカケ。(笑)

本格的に始めたのは高校の時からです。
当時、凄い部活厳しかったんです。先輩も厳しいですし。だから、1週間で辞めました。
でも、3年生になると先輩も引退しましたし、もう一度入部しました。そして、なぜか分かりませんが気合出したんです。
そしたら監督がゲームに出してくれたんです。ウイング(サイドのポジション)で。
もう一度サッカー部入るまではバスケやったり、柔道やったりと。また、漫画が好きだったから漫画同好会にも入っていましたが、なかなか長続きしませんでした。ヘタレだったんですよ(笑)
でも、サッカーは続いたんですよね。

そんな時に、監督から「センターフォワードやれ」と言われまして「お前は勇気があるから、キーパーにぶつかって潰したらそれでいい」と。(笑)
ぶつかっても僕はいつも潰れなかったんです。小さかったんですけどね。
それでセンターフォワードでプレーしているうちに、なぜか毎試合点が取れたんですよ。それで気づかないうちに、インターハイの予選、新人戦と優勝してインターハイに出場できたんです。

Q.日本人としては珍しい海外(フランス)でのGMの経験を教えてください。

僕はドイツの10年間はいろいろと学んで日本でその経験を活かしたいという気持ちがすごく強かったんです。ですが、グルノーブル(フランス)からオファーをもらった時に「学ぶ」というよりも「チャレンジしたい」という気持ちがあったんです。

GMとしてクラブ(グルノーブル)を任されたのですが、いつも中堅だったクラブが僕が入った時の年に2部で5位になったんです。しかし僕はその監督を解任したんです。5位になった監督を解任したんです。やっぱりサッカーはファミリーですし、僕は知っている人間と一緒にやりたいと言いました。
彼(監督)は何にも文句は言いませんでしたが、グルノーブルの人から多くの罵声を浴びせられました。(笑) 22チーム中いつも真ん中以下にいたチームを5位にさせた監督をなぜ解任するんだと。そしたら選手たちも辞めていってしまって、最初の練習に集まったのが10人くらいでした。
そしたらもう5位以内に入るしかないもんね(笑) でもあまりプレッシャーは感じませんでした。そして、その年に3位なったんです。シーズン前半は10位くらいでしたが、シーズン後半は負けませんでした。

Q.どん底でスタートして前期10位で折り返した状態で、シーズン後半に持ち直したキッカケは何ですか?なにか意識したことがあったのですか?

なんもないです(笑)その時はサッカーってほんとにすごいなあって思いました。
こうじゃないと強くなれないっていうのがあると思うんですが、ありませんでしたね。
サッカーって面白いのが足でやるスポーツだから、何が起こるかわからないんです。

Q.フランスで「良かった」と思えたのは、どういったことなのでしょうか?

ただ、チームの仲は良かったけどクラブ内は滅茶苦茶でした。会長はフランス人でドイツ語が話せたんで最初はすごく仲良くしていたんです。でも、段々あいつは何考えているかわからないと親会社にチクリチクリ言い出したんです。
そういったことがあると、チームというのは崩壊してしまいます。これはもう間違いないです。
僕は外国人だし、僕より選手の方が色々と分かっています。だから、不協和音(の情報)をつかむには難しかったんです。
そこが難しいところで、ウソの情報が出たりと。情報はこの世界では大事でしたから、悩まされました。言葉の問題ありますし。

まあ「そういう世界」を見れたというのは良かったです。サッカーの世界って、美しいというか、我々が一般的に描いているものだけではないです。もっとドロドロしたものがあるなと。
匂いがおかしいなって、怪しい「お金」に対しての嗅覚も訓練されました。だから、フランスでの4年間はすごくいい経験でしたね。

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名将“オシム”との出会い

Q.オシム監督との関係、出会いについて教えて下さい。

僕はゼミを開いているんですが、ゼミの学生を研修で毎年ヨーロッパに連れて行っているんですね。
ある年、友人のベルデニックさん(元大宮アルディージャ監督)の元に久しぶりに訪れた際、たまたま旧ユーゴスラヴィアの代表がイタリアW杯の準備合宿を行っていたので見に行きました。
そこで、監督オシムさんと「出会い」ました。

僕はベルデニックさんとも繋がりがあって、ベルデニックさんは「選手主体」ではなく自分の考えを選手に理解してもらうといったタイプの「監督主体」の監督だったんです。
しかし、彼がオーストリアのウィーンの監督をしている際、髪型の変わった選手がたくさんいました。そして、「監督主体」の監督なのにどうしてなのかな。と疑問に思い「どうして変わったの」と聞いてみたところ、
オシムさんと出会って考えが変わったということを聞いたんです。それでオシムさんという人の情報がたくさん入ってきたわけです。
そこで、オファーを出したんです。毎日のように電話していましたが、電話してもらちが明かなかったので、「もう明日、僕は行きます、会いに行きますから」と。
会いに行くと気持ちよく引き受けてくれました。何考えている人かわからないから(笑)

Q.オシム氏のどこに魅力を感じたのですか?

この人が来たら間違えなくジェフは強くなるし、代表の監督にもなって頂けると思いました。なにしろ彼には武道的な精神を持っていました。

Q.精神的な部分に魅力を持ったということですか?

はい。そうですね。すごく人・選手を大事にしてらっしゃいます。実際にオシムさんが来た初年度、33名の登録しているメンバーのうち、公式戦に32名出場しましたからね。もの凄いことだと思います。
それとグルーピングというのがあって、プロの選手と高校生で2トップを組ませたりするんです。そういった様々なグルーピングがあって、毎日のように変えてくんです。そうすると試合でその選手たちが機能し始めるんです。全員が誰とでも動ける。それが凄かったですね。

ビブスもたくさんの色分けをしていました。7色くらいに色分けしていました。
でも、オシムさんは最終的には22色にしたかったと思うんですよ。要は、コートに居る1人1人に1色。
ボスニアというのは戦争があって、お隣さんが一緒の赤を着ていても相手なんです。敵と言ったらよくないけれど。ボスニアというところではそういった状況が続いていました。
そういった中でオシムさんが育ったということもあり、22色の中で“行動を見て”、
「こいつは敵だ」とか「仲良くしなくちゃいけない」という色分けをするわけなんです。
1人1人の行動を見ろとことですね。
「サッカー選手=人間」です。だから、サッカーの世界だけでなく、社会にもっと近いものを教えて欲しいなと思っていました。“夢物語のような世界”ではないということを言ってあげなくちゃいけないです。
そういうふうに捉えている人は、僕は「少ないかな?」と思いますが、オシムさんはそういったところを凄く理解してらっしゃいます。

GMサッカー論

Q.GMを今までやってきた中で、“やりがい”はどこで感じましたか?

今言ったように「サッカー選手=人」ということ。それで、「人間力」を高めなければいけないと思います。人間力を高めるような環境が、Jクラブ1つずつにないといけないと思いますね。だから、“やりがい”というのは、その環境を作ることです。

Q.今のサッカー界をどのように見ますか?

古典的なクラシックなサッカーがどうだったのかというのを若い人はもっと知るべきだと思います。現在消えつつある、郷土愛・クラブ愛やフットボールの精神である「ノーサイド」、試合終わったら必ずお互いに挨拶をすることなど。ですね。

僕は“現在の流れ”はあんまり好きではないです。
“クラブと社会”という関係がすごく変わってきています。
どうしてか。
それは、サッカーの本質的なところが変わってきているんからだと思います。
例えば、世界的に見ると、スタジアム建設で投資したりすればビジネスになりますが、ほとんどの人が恩恵を受けることができません。
だからそういった“社会とサッカー”というのがイコールで式になれば、本来の“サッカーを通した社会的な活動”ができると思うんです。

あと、子供たちにもっと笑顔が絶えないようになって欲しいです。
現在、2050年W杯優勝という目標掲げていますが、肩に力が入ってしまいます。
チームがワンステップ上がれないのはそこです。周りからプレッシャーがあるからだと思います。毎年、毎年、チームの全員が「J1昇格」と言いますが、肩に力が入ってはいけません。
もっと子供たちが豊かで、笑顔のある世界を作っていかなければなりません。
そしたら、自然にいい選手が育ってきますよ。(笑)

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FAMILY

Q.サッカーの持つ可能性を教えて下さい。

う〜ん。難しいな。(笑) いつも僕が書いてるやつにします。一番大事なことなんで。
「Family ~Father And Mather I Love You~ 」

やはり、お父さんとお母さんが愛し合っていないと家庭も安定しません。
「お父さんとお母さんの関係」。これは“監督とマネージャーの関係”でもありますし“監督と選手の関係”・“社長と僕”の関係でもあります。
いろんな関係の中で、『私はあなたを愛しています』という世の中になってほしいです。
サッカーにもこのファミリーが大切です。
「アイラブユー」になるようにどうするのか。というのは皆さんが考えなくてはいけません。
与えるばかりではなくて与えられることもあります。

Q.サッカーに携わってこられて「良かった」と思えることはありますか?

サッカーをしていた人・している人やサッカーを通して出会った人など、そういった人の影響を受けながら、僕のマイライフスタイルを創り上げていってくれたことに感謝しています。
僕より上の70歳〜80歳の人が普通にボール蹴っているわけですよ。
嬉しいですよね。サッカーということがなかったらそういう出会いも少なかったと思います。
サッカーというより、サッカーをしている人達・色々な人に出会って僕の生き方、マイライフスタイルが創り上げられていったんです。
だから新しいことにこれからのチャレンジとしては、グランドマザーとしての仕事やります。男ですけど、グランドマザーとして。
子供の世代やシニアの世代に対して、なにかもっと元気になるような事や笑顔になれることを創っていきたいです。

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祖母井秀隆さんありがとうございました

WorldFutインタビュアー
白畑美咲(3年)、永井千晶(2年)、渡辺大二郎(1年)

 

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